読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

DonKiのブログ

人の日記を覗きにきたドスケベのみなさま、どうぞごゆるりとしていってくださいませ。

【感想】『全部、言っちゃうね。本名・清水富美加、今日、出家しまする。』を読んで、「逃げる」ことについて考えた

清水富美加

この本は、元・清水富美加、現・千眼美子によるエッセイである。内容は清水富美加が出家し千眼美子に至るまでの過程を詳細に記している。

 

本書では主に、千眼美子が清水富美加だったとき、常に「死にたい」と思っていたことと、その絶望的状況から救い出してくれたのは「幸福の科学」であることが書かれている。

 

本書は4章構成になっている。

第一章は、「でも今日、出家します」と題されている。主な内容は、今すぐにも「死にたい」という状況から救い出してくれたのは、事務所ではなく幸福の科学だったこと。

 

そして幸福の科学を子供のころから信仰しており、弱みに付け込まれたわけでも洗脳されたわけでもなく、「自分から求めて」いたこと。自身と同じ苦しみを持つ人を闇から救い出したいと考えていることが書かれている。

 

第二章は、「死にたかった7年、死ななかった7年。」と題されている。

千眼美子が「死にたい」と思っていたのは7年前の仕事を始めたあたりで、発端は水着の仕事をしたこと。その罪悪感に苛まれ、死のうとしてガムテープを口と鼻に張ったこともあり、その後も自殺未遂をすることがあった。

 

しかし、その状況から救ってくれたのは幸福の科学だった。「祈願」を受けたことで安心することができたという。幸福の科学にいると神を近くに感じられて、「ずっとここにいたい」という気持ちになり、より一層「神のために生きたい」という気持ちが日に日に増えた。

 

そうして出家をする決心が付いた。出家をし、仕事を辞めてからは、「死にたい」と思うことはなくなった。こうして清水富美加は千眼美子として生きることになったことが書かれている。

 

第三章は、「私の生い立ち」と題されている。

千眼美子は物心ついたころから幸福の科学を信仰していた。6歳の時に幸福の科学の信者になった。

 

小学6年生のころにスカウトをされてから、中学で有頂天になった後、高校で不登校気味になったり、仕事を辞めたくてマネージャーに相談をしたことが書かれ、「22歳までに売れる」ことを決意したことが書かれている。

 

第四章は、「ずっと幸福の科学」と題されている。

千眼美子は、幸福の科学があったから、生きてこれたという。自分が信じる神がいることによって今まで、生かされ、これからも神によって生かされ続けるだろうと述べている。

 

【感想】

僕は清水富美加のファンだ。3年ぐらい前に『変態仮面』を観てからファンになった。演技が上手で、その上可愛いところに惹かれたのだ。僕はいつも彼女のツイートを楽しみにしていた。つらい時も、彼女のツイートを読むと楽になった。

 

しかし、事件は起きた。彼女がツイッターで新アカウントを作ったのだ。そして「自分の真実くらい、自分で語らせて下さい」という清水富美加のツイートを見たとき、思わずたじろいだ。真相はすぐに明らかとなった。

 

清水富美加は出家して、千眼美子という名前で幸福の科学に従事することになった。この事実を知ったとき、僕は困惑を覚えた。まさか宗教に身を委ねるとは思ってもいなかったからだ。

 

しかし、それは清水富美加が人間として下した重要な判断によるものだから、誰にも止める権利はない。僕はファンとしての正しい行いがどういうものかはわからないが、僕自身の考え方でファンであり続けることにした。そして僕は清水富美加の言う真実を知るために、本書を購入した。

 

清水富美加に関する一連の騒動があって、すぐにこの本は出版された。僕がこの本を購入したのは、発売から三日経った今日である。僕は、買うなりすぐに本屋のベンチで読み始めた。文章量も多くなく、1時間もかからずに読めたように思う。

 

しかし、その内容は安易に語ることはできないものだった。読後の考える時間が異様に長かった。宗教とか、芸能界の闇とか、たしかにそういうものは胸に一物ある。しかし、一番重要なことは、彼女が「人間としての選択」をしたということだ。

 

テレビでは清水富美加のことをこれでもかと非難していた。やれ「責任を果たしてない」だの「身勝手」だの「多くの人を不幸にしている」だの、散々であった。

 

確かにこれらの発言をした人たちは間違ってはいない。清水富美加は多くの仕事を抱えていて、撮影途中の作品もあった。多くの人間が係わっている中、急にその場から離脱する行為は正しいとは言えない。やはり社会人としての責任は付いて回るだろう。

 

しかし、一人の人間が「生きる」ためにした選択だと思えば、間違っているとは誰も言えないはずである。

 

僕は女性の電通社員が自殺した事件を思い出した。彼女は、頑張りすぎた挙句、重荷に耐えられず自殺してしまった。今回の騒動は、それと重なる部分がある。

 

もし、清水富美加が頑張りすぎて自殺をしてしまった場合、世間はどういう反応を示すだろうか。電通社員の自殺の時は、「自殺するくらいなら辞めちゃえばいいのに」だった。きっと同じ反応をする。

 

さらに、清水富美加は芸能人という特殊な立場上選択の自由がなかった。それなりに売れ、仕事が次々に入り込んだり、ほかの仕事で忙しく、長い間自分を殺していたのだ。そんな自由がない人間が、自由になる選択をしたというのは、非常に重要なことだ。

 

彼女にとって自由になれる場所が「宗教」であった。幼いころから信仰していた宗教に出家をすることで、束縛から逃れることができた。長い間「死にたい」と希死念慮を抱いていた人間が逃げることができたのだ。

 

世の中にはどれだけ逃げることができない人間が多いことだろうか。人間関係や学校や仕事のしがらみに縛られ、挙句の果てには自殺をしてしまう人が多い。とある作品に「逃げちゃだめだ」というセリフがあるが、逃げなければならない状態にあるのに逃げられないのは、悲劇と言っても過言ではない。

 

人間は自分がかわいいから、意識せずに思考停止してまで環境の中に閉じこもろうとする。そこから一歩抜け出せれば「自由」になれる可能性が高いのに、「逃げる」という選択肢を選ぶことは簡単にできることではない。

 

もっと社会的に「逃げる」ことを肯定するべきだ。逃げることは情けないことかもしれない。多くの人間の迷惑をかけるかもしれない。人を不幸にしてしまうかもしれない。しかし、身の破滅が近い人間に、「逃げる」以外の選択肢を与えることはできるだろうか。「闘え」と言うのは「死ね」と言っているのと同じだ。

 

清水富美加は、現状から逃げたことによって生きる道を歩むことになった。その選択は死ぬことよりもよっぽど良いことだ。「逃げるは恥だが役に立つ」とはこのことを言うのだろう。

 

僕は、彼女にとって「逃げる」という選択が間違ってなかったと思えるような人生を送れることを願う。

 

 

donki.hatenadiary.com

donki.hatenadiary.com

donki.hatenadiary.com