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DonKiのブログ

人の日記を覗きにきたドスケベのみなさま、どうぞごゆるりとしていってくださいませ。

それでも僕が清水富美加のファンであり続ける理由

清水富美加

今朝の目覚めは最悪なものだった。それは清水富美加(以下ふみかす)が引退宣言を昨日したからだ。ふみかすは幸福の科学へ出家をした。洗礼名のようなものを与えられ、新たな人生をスタートしている。僕は寝覚めるとすぐにふみかすのツイッターアカウントを確認した。新たなツイートはない。新アカウントではたった3つしかツイートがないが、引退メッセージと相まって、相当追い込まれていたんだと思う。

 

僕はリビングへと向かい、おもむろにテレビを点けた。ちょうどフジテレビのバイキングが始まろうとしていた。当然のようにふみかす引退報道がトップに来た。僕は内心そわそわした。ただでさえ精神的に参ったふみかすにさらに追い打ちをかけるコメントばかりされるのではないか。そしてそれは現実化した。

 

司会者が烈火のごとくヒートアップしてふみかすを叩きまくる。司会者の男性は長い間芸能界で生活をしていたため、ふみかすの芸能人としての身勝手さが逆鱗に触れたのだろう。確かに、スケジュールが組まれ多くの人間が関わっている中、突然の離脱は正解とは言えない。

 

しかし、それを人生の選択だと思えば、重要な決断だ。どれだけ追い込まれていたかは第三者から観測することはできないが、明らかに破滅に近い人間の究極の選択肢をまずは認めることが大事なのではないか。そこに追い打ちをかける必要があったのだろうか。

 

では、無理して仕事を続け、それでも耐えきれずに自殺をしてしまった場合、あの司会者はどのような反応をしたのだろうか。まあ司会者を批判したところでどうにかなる話ではない。今回のエントリーは僕がふみかすファンを続けていく理由についてだ。

 

さて、前のエントリーに書いたが、僕が今まで見てきたふみかすはどこにも存在しない。ふみかすは幸福の科学に出家して「神のために生きる」ことを決断した。多くのファンが宗教への道に困惑を抱いたことだろう。いくらこの国で信教の自由が認められているとはいえ、宗教と縁遠い日本では受け入れられづらい。それに幸福の科学という新興宗教だ。古くからある宗教だから良い、悪いの問題ではないが、胡散臭さは否めない。少しだけ「エル・カンターレ」というものを調べてみたが、ちんぷんかんぷんだった。提示されている情報が何一つ理解できない。

donki.hatenadiary.com

 

この宗教がらみのことで僕はかなり困惑した。「胡散臭い宗教に出家するくらいなら他に道がなかったのか」というのが頭に浮かんだ。しかしこれは、本人のことを考えているようで全く考えていない自分勝手な言い分だ。これはあの電通の女性社員が自殺をしたときにネットでよく言われた「自殺するくらいなら辞めちゃえばよかったのに」と同じで、もし自分が本人だったら、という当事者性を欠いた考えによるものだと改めた。

 

それから僕が至った答えは「生きていてくれてよかった」ということだ。追い詰められたゆえに自殺をしてしまったら何も残らない。人間死んでしまったら最後、伝えたいことを何も伝えられずに忘れ去られていくだけだ。それはあまりにも悲しい。幸い、ふみかすはツイッターで自身のことを発信していくそうなので、喜びもひとしおだ。

 

ファンにとっての正解とはなんだろうか。それは存在しないかもしれない。ファンという言葉ほど定義しづらいものはない。人々がファンになる理由はそれぞれで、必須条件をクリアしたらファンになれるなんてことはない。僕がふみかすを好きになった理由は、演技が上手くてかわいいという単純な理由だ。そこにふみかす自身の内面を考慮したことはなかった。変態仮面の時、僕はゲラゲラ笑った。しかしあの役を嫌々やっていたかもしれない。そうなら申し訳ない。

 

今回、ふみかすの決断を通して、僕は新たなふみかすのファンになろうと思った。今までのふみかすを忘れて、新生ふみかすを好きになろうじゃないか。どんどん受け入れていけばいいじゃないか。まだ事態は始まったばかりだ。今後どうなるかなんて明日に任してしまえばいい。明日のことは明日自身がどうにかしてくれる。だから、僕は清水富美加のファンであり続けようと思った。

 

これがファンとして正しいかは分からない。「本当のファン」というものがどういうものか、説明できる人などいないだろう。だから僕は僕の考え方でふみかすのファンであり続けたいと思う。