読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

DonKiのブログ

人の日記を覗きにきたドスケベのみなさま、どうぞごゆるりとしていってくださいませ。

清水富美加の出家をうけて、ファンで居続けることの難しさを実感した

前回のエントリーを書いた後、僕は「ぶっちゃけ大丈夫っしょ!」とちょっと前の渋谷系の軽いノリだった。「出家で事務所とトラブっても芸能界引退はねえ(笑)大げさすぎワロタwww」と、楽観視してコーヒーを2杯ほど飲んだ。ネスプレッソのヴァニリオは、バニラ風味の飲みやすいコーヒーだ。何杯でもイケる。僕は、さて3杯目でもいっちゃおうかなと、スマホを見ながらネスプレッソマシーンへと向かった。スマホで見るものがなく惰性でいつものようにYahoo!ニュースを開いた。そしてとある記事が目に付いた。

 

清水富美加 「神のために生きたい」 直筆コメント全文

 

というものだった。僕は思わず左手に持っていたコーヒーカップを落としそうになった。「神のために生きたい……?」「幸福の科学に出家しました……?」おいおいどうなっちゃってるわけ? 芸能界引退が実現しちゃったじゃんよ。もうコスモのCMもニベアのCMもミタゾノもなくなっちゃうってこと? 脳が追いつかない現象は初めてに近い。出家宣言のコメントも、ほとんど覚えていない。コーヒーカップを持ちながら呆然と立ち尽くしていると、あるひとつの考えが脳を巡った。

 

僕はふみかすのファンで居続けられるのか?

 

ふみかすのファンである僕は、本格的にどうしたらいいのだろうか。清水富美加という存在が消えたわけではない。しかし、僕が見ていたふみかすは消えてしまう。圧倒的演技力でファンを魅了していたふみかすが消える。正直あまり悪口とか言いたくないが、ふみかすと同年代の役者は鼻クソの集まりみたいなもので、ふみかすの足下にも及ばないカスばかり。大げさな演技も自然な演技もお手の物だったふみかすがいなくなってしまうのは大きなダメージだ。ふみかすはツイッターで「真実を語る」とツイートしていた。僕はその「真実」を受け入れることができるのだろうか。

 

真実は時として残酷な運命へと導く。子どもの頃、世の中の現象にはいつも目をキラキラさせていた。それは知識がないのと、疑うことを知らなかったからだ。成長していく過程で知識は増え思考力は自然と付いてくる。そうして現実を知る。サンタはいないしカメハメ波も撃てない。ぼくのかんがえたさいきょうのましーんは実現も存在もしない。気付けば世の中に不信感を抱いてばかりになる。その中で人は信じられるものを必死で探す。それは趣味であったり人間関係であったり、ペットであったり。その信じていたものから一方的に離されたとき、人はどうなるのだろうか。おそらく不信感は余計募り、対象に破滅的な思考を抱くことになるだろう。

 

僕はできればファンで居続けたい。しかし今後それはあっという間に崩れ去ることになるかもしれないし、もっとファンで居続けたいと思うかもしれない。『結婚できない男』の一話目に、建築家になった理由を尋ねられた桑野が「神のお告げがありましてね」と飄々と言うが、あんな感じで言われたら、なんだか安心する気がする。

 

最後に、大川隆砲は最強の攻撃力を持った降霊術だなあと思った。